~もうひとりの自分~
- 聡 和泉
- 7月4日
- 読了時間: 2分
映画『Wの悲劇』を最近、DVDで見返しました。私が大学生のころ、高田馬場の映画館で封切りを見て以来、20回以上見ました。薬師丸ひろ子さんの初々しい演技は何度見ても印象的ですが、この作品を貫いている主題のひとつが『自分を見つめているもうひとりの自分』です。
ラストシーンで薬師丸さんが世良公則さんに「自分をみつめているもうひとりの自分って厄介だけど、私は付き合っていくわ」と語りかける場面は、21歳だった私の脳裏に強烈に焼き付きました。
自分が独りよがりに陥らないように、少し離れたところから、常に自分を見つめているもうひとりの自分を持っていたい。私はこの映画を見て以来、いつも心の中で、そう言い聞かせながら生きてきました。
ある物事に直面したとき、自分はこう思うけど、きっと世の中にはまったく異なった考え方をする人もいるのだろうな、と思える想像力を失わないでいたい。『もうひとりの自分』が強すぎると、他人の目ばかりを気にすることになり、自分を失うことになりかねないという懸念はある。しかしそれでも私は、独りよがりにならないために、もうひとりの自分をしっかりと持つことを大切にしたい。
そんなことを思っていたら、偶然、ある市民から『離見の見』という言葉を教わりました 。『世阿弥の能楽論で、自分の姿を距離をおいて観察すること。演者が主観を離れて観客の立場で自分の姿を見ること』(日本国語大辞典、小学館)。まさに、もうひとりの自分を持つことです。
自説を大上段に振りかざし、正しいのは自分だと言わんばかりに、他人の批判を声高に展開する。そんな場面に出くわすたびに私は『離見の見』『もうひとりの自分』を思い出し、自分の足元を点検していきたいと思っています。
(広報 あしかがみ 2020.10)

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