~よく生きる~
- 聡 和泉
- 7月4日
- 読了時間: 2分
最近出会った言葉の中で、最も印象的なのは、ソクラテスが残した「何よりも大切にしなければならないのは、ただ生きるということではなくて、よく生きるということである」です。
ソクラテスは、市民500人の陪審員に法廷で裁かれ、死刑になりました。罪状は「神々を認めない。青年に有害な影響を与えている」という、言いがかりに近いものでした。友人から盛んに脱獄を勧められますが受け入れず、毒杯を仰いで死にました。彼にとってそれが『よく生きる』ことだったのです。
そこまでを振り返って、改めて、西洋でも中国でも日本でも、後世の人々の心に強い印象を残した哲学者や思想家に共通していることがあるのに気づきました。それは、どんなに正しいこと、正義に基づいたことを唱えても結局は人々にわかってもらえず、それでも自分を曲げずに貫き通した、凛とした姿でした。
中国哲学者の故・金谷治は、孟子について「世俗に容れられず、現実の政治的活動から身を退けた(中略)が、それは決して単なる敗北の過程ではなく、一つの理想を守り貫ぬく歩みであり、精神の高らかな勝利を歌うものであったとしてよい」と書きました(1954年6月『東方学』)。
吉田松陰は高杉晋作宛ての手紙で「死して不朽の見込あらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込あらばいつでも生くべし」と書きました(司馬遼太郎『世に棲む日日(四)』)。その直後、自分の主張は受け入れられず、安政の大獄で刑死したのです。
批評家の東浩紀は、2019年5月18日の日本経済新聞に『ソクラテスとポピュリズム』というコラムを寄稿しました。同コラムで「人間は論理的ではない。話しあえば正しさが実現するわけではない」とし、「すべての政治と哲学は、この前提から始まらねばならない」と書きました。その意味を今、噛みしめています。
(広報 あしかがみ 2019.2)

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