top of page

いずみ聡 公式サイト

~続・至誠通天~

  • 執筆者の写真: 聡 和泉
    聡 和泉
  • 6月28日
  • 読了時間: 3分

更新日:7月4日

 市長を退任してから、4年6カ月。新たな仕事や人々との出会いのなか、いつも心の一番の奥底で考え 込む自分がいました。市長時代の数倍の本を読む。小説家や歴史家、批評家、著述家の文章を読みなが ら、それを書いた人たちの肉声を耳にする。そうして朝、目が覚めると、「昨日より今日、また一歩、自 分は自分の終わりに向かって歩みを進めた」という当たり前のことを思うようになりました。自分も、自 分の愛する人も、尊敬する人も、日々そうした歩みはみな同じく平等に訪れている。であればなぜもっと 謙虚になれないのか。そんなことを考えるうち、ずっと、ためらっていた「書くということ」をせねば、 と思い立ちました。随筆家の若松英輔は「うまく書こうとしてはならない。人は、うまく生きたいとおも ってもそうは生きられない……これが自分が書く最後の文章だと思って書くことだ」(「生きていくうえで かけがえのないこと」)と書きました。できるだけ、何も足さず、何も引かず、書いていこうと思いま す。不定期に。長さもまちまちで。

※ ※ ※ ※ ※ ※

縁あって、最近、ある福祉関係法人の仕事をお手伝いしています。その法人が運営する施設に足を運ぶた び、新しい発見と感動する場面に出くわすことが続いています。

 ある日の午後。利用者20人ほどのグループホームの2階で会議が終わったあと、1階のリビングで利 用者のみなさんとテレビを見ながら過ごしているときのことでした。10人ほどが囲んで過ごせる細長い テーブルの端の席に座っていた女性。脚が不自由で杖を使って生活しているのですが、いつも快活で私が 行くと「おお、いい男だね。うちの息子にもよく似てるよ」と声をかけてくれます。その時、私の隣に座 っていたその女性が、やおら椅子から立ち上がり、杖をつきながら、テーブルの反対側に座っている女性 のところに、とてもゆっくりした足取りで近寄っていきました。近寄られた女性は認知症が進みほとんど お話をすることなく、いつも黙って指を口に入れて過ごしています。杖をついて近づいた女性は、この女 性の背中に手をあてると、背中全体をさすり始め「元気だすんだよ、元気だすんだよ」と繰り返し語りか けたのでした。別に女性に異変があったわけではない。けれども、杖をついた女性は、当たり前のように 立ち上がり、仲間の女性の背中をさすりに行った。その様子には、取り立てて何かを「してあげている」 という空気は一切なく、あまりの自然さの中で行われたその動作と光景に、私はあっけにとられると同時 に、何とも言えない感動が胸を覆ったのでした。

 人が老いるというのは、自分の能力やできることを、ひとつずつ神にお返しすることだと私は思ってい ます。耳が遠くなるのは聴力をお返しする。老眼になるのは視力をお返しする。脚が弱るのは脚力をお返 しする。そして自分ひとりでできることは少しずつ減っていくわけですが、それでもできることは残って いる。その「できること」を最大限引き出すのが施設の運営方針であり、決して「管理したり介護してあ げたりする」ことではない。この杖の女性は、脚力の多くは神にお返ししつつあるのだけれど、仲間を励 ますという優しさと力は、もしかしたら私たちより遥かにたくさんもっている。そして自らその優しさを 発揮する力がある。人が生きることの本当の尊さを私はこの光景に垣間見た、と思ったのでした。

コメント


bottom of page