~第二の矢~
- 聡 和泉
- 6月28日
- 読了時間: 2分
更新日:7月4日
生きていると、楽しいこともあれば、苦しいこともありますが、どちらかというと、苦しみを感じることの方が多いのだと思います。なぜか。最近、禅や仏教の本を読んでいて、教わることがありました。少し冷静になって人間の心の動きを観察してみる。例えば、楽しみにしていた旅行の前日に、足をくじいてねん挫し、旅行に行けなくなったとします。私はなんて不運なんだと思う。旅行に行っていれば、きっといい景色を見て、いい空気を吸って、美味しいものを食べられたのに。こうした心の動きを顧みる時、足をくじいたことを「第一の矢」とすると、いい景色を見られたはずなのに、美味しいものを食べられたはずなのに、と思うことが「第二の矢」です。人間を苦しめるのは、実は「足をくじいた」という事実そのもの、つまり「第一の矢」よりも、自分はあれもこれもできずに損をしたと分析したり比較したりする「第二の矢」の方なのではないのか。だから第一の矢が来たら「できるだけ早く治そう」とだけ思い、あれもこれもできなかったから不運だという「第二の矢」が来ないように心がける。なぜならこの「第二の矢」こそが、人を苦しめている最大の原因だからだというのです。人を見ていまの自分と比較する。うまくいかなかった自分を顧みてうまくいったときの自分と比較してしまう。この心の動きが「第二の矢」だと思います。
でも比較するからこそ追いつきたいと思い、努力するのではないのか。だから向上心が生まれるのが人間ではないのか。でもそれが人を苦しめている。第二の矢を振り払おうとしても、ふと気付くと、また第二の矢に追い回されている自分がいる。きっと死ぬまで第二の矢を振り払えない。それが生きるということかもしれない。そんなことを繰り返し考えています。
(2026年3月31日)

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