~たしかな生き方~
- 聡 和泉
- 6月28日
- 読了時間: 2分
更新日:7月4日
教会という権威にではなく、教えそのものを大切にすべきだという、キリスト教の無教会主義だった内村鑑三が、箱根の山で仲間に語った記録「後世への最大遺物」を数日前に読み終えました。お金がある人は財産を残して後世に貢献すればよい。思想がある人は、思想を残して貢献すればよい。文才のある人は、本を書き残して貢献すればよい。では財産も思想も文才もない人は何を残せばいいのか。内村は「正義に、もとることなく一生懸命生きたことこそが、後世への最大の遺物」と結論します。
これを読んでいて瞬間的に私の脳裏に浮かんだことがありました。2年前に読んだ三浦綾子の「塩狩峠」の一節です。北海道で暴走する列車の車輪下に身を投げて停車させ多くの命を救った長野雅夫がモデルのこの小説に次のようなくだりがあります。
(主人公信夫の)父は遺言の中で「日常生活において、菊(妻)に言ったこと、信夫、待子に言ったこと、そして父が為したこと、すべてこれ遺言と思ってもらいたい。わたしは、そのようなつもりで、日々を生きてきたつもりである…」…それは常に死を覚悟して生きて来た姿とは言えないだろうか。……(おれは自分の日常がすなわち遺言であるような、そんなたしかな生き方をすることができるだろうか。信夫は、父の死を悲しむよりも、むしろ父の死に心打たれていたのである。
のちに信夫は、暴走列車の車輪下に身を投げて多くの命を救うという「たしかな生き方」をした。残せるものは、地位でも財産でも業績でもなく、「たしかな生き方」だけなのだ。そしてわが身を振り返り「お前は、正義に、もとることなく、自分の日常がすなわち遺言であるような、そんな、たしかな生き方をしているのか」と自問しています。
(2026年4月2日)

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