~囲師(いし)には必ず闕(か)く~
- 聡 和泉
- 7月4日
- 読了時間: 2分
『孫子』といえば、兵法書の代表的古典として知られていますが、その中に「囲師には必ず闕く」という言葉があるのを最近、知りました。包囲した敵には、逃げ道を開けておく。逃げ道がある、なんとか生きのびられそうだとなれば、死に物狂いの反撃はしてこないという意味です(『中国古典の人間学』守屋 洋著、プレジデント社)。
守屋さんはこの本の中で、「人と議論するときにも同じことが言える。緻密な論陣を張って、完膚なきまでに相手をやりこめて、気持ちよさそうな顔をしている人をまま見かける。自分は気持ちよいかもしれない。が、(中略)いつか、どこかで強烈なしっぺ返しを食らう」と指摘しています。
この部分を読んで、すぐに思い出したのが、司馬遼太郎が『竜馬がゆく』の中で次のように書いていることでした。「竜馬は、議論の勝ち負けということをさほど意に介していないたちであるようだった。むしろ議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になることがしばしばあることを、この現実主義者は知っている」(『竜馬がゆく8』文春文庫)。
議論で相手を負かすことに主眼を置きがちな欧米と違い、私たち日本人は常に、相手への思いやりを大切にしてきました。それはまさに儒学が伝えてきた『恕』や『仁』の精神そのものでもあります。
議論で本当に大切なのは、相手を負かしたり、正しいとか間違っているとかを決めたりするのではなく、問題がもつ複雑さや困難さを分かち合い、苦しさを共有することではないか。そのうえで、困難をともに乗り越えようという決意と覚悟をお互いの胸の内に築くことではないか。そんなことを大切にしながら、まちを前進させるための議論をいろんなところでしていきたい。そう思ったのでした。
(広報 あしかがみ 2019.5)

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